投稿者: wadayuukiの記事一覧
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司馬さん一日一語☞『物の怪』(もののけ)
物の怪とは、 たとえば鬼や狐狸や その他の怪物のような 実体のあるものでは なかったようだ 源氏物語を読まれてご存じのように、平安期の文学や説話には「物の怪」(もののけ)からの恐怖が、どれを読んでもこまごまとしるされてい […]
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司馬さん一日一語☞『牧谿』(もっけい)
牧谿は、 南宋末の禅僧である。 水墨画をよくし、とくに浙江省の地(じ)の絵画ともいうべき撥墨画を描いた。 線を用いず、墨の濃淡という色面だけで描くという方法である。 この点にかぎっては、西洋の画法と似ている。 伝統無視の […]
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司馬さん一日一語☞『紫野』(むらさきの)
紫野とは、 染料の紫をとる 紫草がはえている 野をいう。 袖を振るというのは恋のしぐさだったそうで、『万葉集』にも、集中第一の才女額田王の歌が出ている。 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る (巻第一、二〇 […]
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司馬さん一日一語☞『無常』(むじょう)
つまり 一定のままではない ということですね。 天然の無常※というのは、いい言葉ですね。 つまり、大思想によっては教えられなかったかもしれないけれど、既にあったもの、そういう意味ですね。 この日本列島に自然に湧いて出た、 […]
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司馬さん一日一語☞『民族』(みんぞく)
国家は 後からやってきた ものだが、 民族は それ以前から 存在した。 というより太古から存在したという神秘的な錯覚が、どの民族にもある。 さらにいうと、単に人間というにすぎないこの存在が、民族文化を持つことによって&# […]
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司馬さん一日一語☞『源姓』
平安初期、 天皇家の財政が困窮し、 多くの皇子たちを養って ゆけなくなった。 そういうことから 「源」という姓が 創設された。 弘仁五年(814年)嵯峨天皇のときで、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍にくだした。臣籍 […]
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司馬さん一日一語☞『湖』(みずうみ)
いったい 湖という日本語は 明治以前には なかったのでは ないか。 LAKEという外来語が入ってきてその翻訳語としてミズウミという日本語ができ、大正期を経て定着したのではないかとおもわれる。 われわれが湖とか湖畔とかいう […]
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司馬さん一日一語☞『巫女』(みこ)
巫女、 これはつねに 野(や)にあって 独行した。 仏教は奈良朝のころに形をととのえるのだが、固有の信仰は巌の下の木賊かなにかのように、地下茎をはびこらせつつ生き残った。 巫女、これはつねに野(や)にあって独行した。 多 […]
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司馬さん一日一語☞『まほろば』
“まほろば”が 古語であることは、 いうまでもない。 日本に稲作農業がほぼひろがったかと思われる古代—五、六世紀ころだろうか—大和(奈良県)を故郷にしていた人—伝説の日本武尊̵ […]
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司馬さん一日一語☞『洞が峠』
順慶は 日本語の語彙を 豊かにすることに 貢献した。 天正十(一五八二)年、信長は本能寺で光秀に討たれた。 当時、秀吉は備中にあり、軍を大返しに返して山城の山崎で光秀軍と対戦した。 このとき、戦場にちかい大和にいる筒井順 […]
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司馬さん一日一語☞『ほどのよさ』
この当時 (織豊時代)の 「ほどのよさ」 というのは その後のいい加減、 という 意味でなく、 出しゃばらない、 という 意味であった。 長宗我部盛親は性格が温厚で、口数がすくなく、おのずから長者の風のあったために、大坂 […]
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司馬さん一日一語☞『渤海国』
むかし 満州(いまの東北)に 渤海国という国が あった。 713年に興り、わずか二世紀余でほろんだ。 この国の民族は漢民族ではない。 日本人の遠縁になるかもしれないツングースであり、東洋史の用語では扶余族である。 ついで […]
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司馬さん一日一語☞『卜占』(ぼくせん)
上代日本語では 卜占をウラという。 ウラを活用させてウラナフ、ウラトフ、ウラフ、ウラハフといったりするが、ともかくも卜占(ぼくせん)は古代世界の科学であった。 専門の神道者(かむなぎ)がこの術を用いたが、かれらの奇妙さは […]
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司馬さん一日一語☞『判官びいき』
江戸期の庶民が、 判官びいきという ことばをつかった ときの判官は、 いうまでもなく 義経のことである。 しかし忠臣蔵の塩冶判官にもどこか通じさせてこの熟句をつかっていたのであろう。 兄の頼朝にいじめられたり、梶原にざん […]
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司馬さん一日一語☞『方外』(ほうがい)
方外とは浮世のそと という意味で、 極端にいうと、 この世に存在せぬ者 ということである。 江戸時代、将軍にじかに接する職として、儒者、医師、絵師などのあつかいを特殊なものにした。 方外とは浮世のそとという意味で、『広辞 […]
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司馬さん一日一語☞『弁財天』
弁財天(弁天)は、 もとは インドの土俗神 だった。 ガンジス川など大河を象徴する神で、ひょっとすると蛇への古代信仰の発展したものだったかもしれない。 女神である。 琵琶を弾いている。 元来が河神であるために、日本では琵 […]
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司馬さん一日一語☞『べに』
べにという日本語は、 古くはあっても もっぱら紅をべにと 言いなじむのは、 室町ごろからでは ないか。 『万葉集』のころは、べにといわず、くれないとよんでいた。 その植物およびその色を指す。 語源はたれもが想像できるよう […]
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司馬さん一日一語☞『分際』(ぶんざい)
分際・分という ものさえ 心得ていれば、 世の中は大過なく 送れるように なっていた。 分際とは、封建制のなかで身分ごとに(こまかく分ければクラスの数が千も二千もあるはずである)互いに住みわけてゆくための倫理的心構えもし […]
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司馬さん一日一語☞『文化』(ぶんか)
すべて “くるまれて楽しい” ということが、 文化なのです。 文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、 文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通 […]
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司馬さん一日一語☞『浮浪人』(ふろうにん)
国家からの 逃亡者であり、 それらを、 当時の公用語で、 「浮浪人」と よんだ。 七世紀の律令制のころの公民は、どう潤色されようとも、農奴という本質意外のなにものでもない。 かれらは—といっても私どもの先祖だ […]
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司馬さん一日一語☞『触』(ふれ)
「触」という 言葉そのものは、 古代からある。 遍く告げる、触れまわる、布告する、ということで上から下へ命令をくだす、という場合につかう。 中世にも戦国期にも、陣触(じんぶれ)<動員令>ということばがあった。 たとえば武 […]
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司馬さん一日一語☞『風流』(ふりゅう)
風流というのは、 本来“教養があって 雅びている”という 意味で、 中国の六朝時代に、 読書人の暮らしの スタイルとして 流行した。 六朝の知識人たちは政治論議を野暮とし、詩や琴棋(きんき)書画の中で遊ぶことを人生の最高 […]
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司馬さん一日一語☞『葡萄』(ぶどう)
ぶどうは ペルシャ(イラン) が原産地とある。 甲州ぶどうの原型をつくりあげるはなしをきいたことがある。 なんでも寿永年間というから平家が壇ノ浦でほろぶころ、いまの甲州ぶどうの雨宮さんの先祖の勘解由という土豪が、あるとき […]
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司馬さん一日一語☞『普請』(ふしん)
日本は、 普請の国である。 普請は、 土木のことをいう。 ことばとしては十三世紀ごろに浙江省あたりから入った宋の音で、当初は建築ということもふくめてつかっていた。 戦国時代になると、建築をきりはなして、これを「作事」とよ […]
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司馬さん一日一語☞『備長炭』
備長炭は 熊野に多い ウバメガシという 樫の一種を乾留して つくる。 白炭ともいい、打ちあわせると金属音に近い音が出る。 ふつうの木炭(黒炭とよばれる)のように一時的に高い火力が出て持続しないのとはちがい、温度は低いなが […]
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司馬さん一日一語☞『標準語』
標準語というのは いつごろできたので あろう。 「左様でござる」と、歌舞伎などで武士がいう。 江戸落語で武士を演出する場合も、四角ばって、たとえば「岸柳島」で武芸自慢の侍が、「尊公も両刀をたばさんでおられるなら、むざと手 […]
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司馬さん一日一語☞『飛騨工』
飛騨工(あるいは 斐陀匠/ひだのたくみ) ということばは、 八世紀の文献に すでにある。 飛騨人はどういうわけか建築、指物の技術をもって上代から知られていた。 奈良朝の「令」(りょう)によると、飛騨の国は諸国とことかわり […]
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司馬さん一日一語☞『聖』(ひじり)
日本の中世の 聖たちは、 こんにちの 日本の大衆社会の 諸機能をすでに 備えていた。 言葉というのは、本来なりさがりたるものらしい。 とくになまな現実感覚を超えてしまった尊称というのは、ひどく下落することがある。 たとえ […]
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司馬さん一日一語☞『蟇目を負わせる』
「いざ、蟇目負わせて くれん!」 鏑矢の鏃をすげないのを蟇目(ひきめ)といい、鳥獣などを生け捕りにしたり、物の怪を退散させる時に使い、これで射ることを「蟇目を負わせる」(ひきめをおわせる)というのだ。 南朝の興国三年、北 […]
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司馬さん一日一語☞『菱垣船』(ひがきせん)
盛りあげた荷が海に こぼれ落ちないように 両舷に垣を たてるのである。 だから、菱垣船とか 菱垣廻船とかいう。 からだに不釣り合いなほどにばかでかい帆をあげ、木ノ葉を縦に折ったようなV字形断面の船体には甲板(床)というも […]
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司馬さん一日一語☞『万里の長城』
紀元前、 異民族の侵入をふせぐ ためにつくられた (万里の)長城は、歴世、修理と増築をかさねて、胡をふせぐための機能をよく果たした。 塞外の騎馬民族にとって、この長い壁があるために馬を越えさせることができなかったのである […]
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司馬さん一日一語☞『藩邸』(はんてい)
「藩邸」 というよび方は 幕末以後のことばで、 大名の上屋敷・ 中屋敷・下屋敷を 総称することばである。 上屋敷は、将軍からの拝領地に建てられているから“拝領屋敷”などともよばれ、そこで大名が家庭を営んだ。 中屋敷・下屋 […]
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司馬さん一日一語☞『藩』(はん)
藩ということばは、 徳川時代の正式な 法制用語ではない。 幕府初期にはこの言葉さえ存在せず、中期ごろになってつかわれはじめ、幕末になって大いに奔走家のあいだで使用された。 新鮮なことばだったにちがいない。 薩摩の中村半次 […]
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司馬さん一日一語☞『ハマナス』
ハマナスは 北海道に多い。 また東北から 鳥取県にかけての 日本海岸地方の 海浜に自生する。 バラ科だそうだから、花はバラに似ており、トゲもある。 「バラ科なのに、どこが茄子なんです」 「実が梨の形に似ているからじゃない […]
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司馬さん一日一語☞『パニック』
ギリシア神話のなかの 牧神パンは たえず葦笛を吹き、 美少女とみれば 追いかけ、 気まぐれでもある。 突如怒りだし、羊や牛馬たちを走らせる。 パニックという語の源になった。 1929(昭和四)年のアメリカの株式市場にパニ […]
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司馬さん一日一語☞『花のような』
花のような、 という ことばがある。 人間の美しさを 表現した 日本語としては、 これほどみごとな ことばはないだろう。 森蘭丸は、少年のころから織田信長にその才を愛され、側近に侍しながら、美濃岩村五万石をあたえられてい […]
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司馬さん一日一語☞『八幡』(はちまん)
八幡、 はちまんといい、 やはたという。 いずれも八幡神のこと である。 この神はもっとも早い時代に仏教に習合したから「八幡大菩薩」などともよぶ。 八幡神は十二世紀には清和源氏の氏神になり、その家系の源頼朝が鎌倉幕府をひ […]
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司馬さん一日一語☞『畠』(はたけ)
「畠」という 文字が おもしろい。 漢字ではなく、 国字である。 日本では稲作水田のことを田というが、漢字の本家中国では、田の字は、稲作、麦作、または蔬菜畑を区別しなかった。 ところが、日本の奈良朝はコメをもって基盤とし […]
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司馬さん一日一語☞『芭蕉』(ばしょう)
芭蕉は、 木というより 大型の草という べきだろう。 “日本バナナ (Japanese banana)” などともいわれるらしいが、バナナの実は生らない。 暖地の植物である。 俳人の芭蕉が、伊賀から江戸に出てきたのは、寛 […]
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司馬さん一日一語☞『土師器』(はじき)
弥生式土器の後身は、 茶褐色の祖末な 焼きものである 土師器である。 日本の焼きものは、弥生式時代から古墳時代にかけて併用された土師器(はじき)と須恵器という二種類から、信じがたいほどのことだが、ながく進歩しなかった。 […]
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司馬さん一日一語☞『能力主義』
明治は、 日本人のなかに 能力主義が復活した 時代であった。 能力主義という、この狩猟民族だけに必要な価値判定の基準は、日本人の遠祖が騎馬民族であったかどうかはべつにせよ、農耕主体のながい伝統のなかで眠らされてきた。 途 […]
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司馬さん一日一語☞『合歓の花』
芭蕉は、 この象潟にきて、 合歓(ねむ)の花を 見たらしい。 潟(かた)というのはおそらく紀元前からの古い日本語だろう。 遠浅の海のことである。 くわしくいえば、潮の干満の差がはなはだしく、退潮のときは陸になり、満潮のと […]
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司馬さん一日一語☞『日本人』
こんにち “人類”というのが なお多分に観念で あるように、 江戸体制のなかでは “日本人”であることが そうだったろう。 幕末、勝海舟という人物は、異様な存在だった。 幕臣でありながら、その立場から自分を無重力にするこ […]
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司馬さん一日一語☞『ニシン』
『北海道漁業志稿』 (北水協会編纂) という古い本では ニシンはヌーシィ という アイヌ語からきた、 とある。 もともと和名では カドといったらしい。 手もとの『広辞苑』のカドの項をひらいてみると(東北地方で)ニシンのこ […]
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司馬さん一日一語☞『名乗』(なのり)
維新前、 人の名前にナノリ というものがあった。 広辞苑のその項をひくと、名告・名乗とあって、「公家及び武家の男子が、元服後に通称以外に加えた実名。 通称藤吉郎に対して秀吉と名乗る類」とある。 後藤又兵衛の名乗りは基次で […]
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司馬さん一日一語☞『灘』
普通名詞の 灘の文字は 国字ではなく 漢字である その意味は、つい漢字にひきずられて「潮の流れの速い海」と解されるが、たしかに黒潮の流れる熊野灘などはそれにあたるにしても、摂津の灘をはじめ、日本列島の他の多くの灘のつく海 […]
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司馬さん一日一語☞『名こそ惜しけれ』
恥ずかしいことを するなという精神が、 坂東武者から おこったんです。 日本はキリスト教がなかったし、仏教はより哲学的ですから、あえてキリスト教世界を基準に言いますと、倫理、道徳はなかったに等しい。 それに代わるものとし […]
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司馬さん一日一語☞『どこの馬の骨』
「どこの馬の骨」 ということばは、 日本語のなかでも ユーモアの滋養を たっぷりふくんだ、 数少ない佳い言葉 のなかに 入るのではないか。 「広辞苑」をひくと、—素性のわからぬ人を罵っていう称 とあり、元禄太 […]
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司馬さん一日一語☞『道路』
日本の道路は 昭和三十年代の後半から にわかによくなったが、 それまではとても 文明国とはいえないほど のひどさだった。 明治以前の日本人の道路感覚は、路幅は馬一頭が通れる程度でいいというほどのものであった。 明智光秀が […]
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司馬さん一日一語☞『同朋衆』
室町期の 同朋衆は、 日本文化に 大きな貢献をした。 一遍は鎌倉期の人だが、かれがはじめた時宗は室町・戦国期になると、ほとんど形骸化した。 たとえば在野の学芸の徒が、みずから時宗の徒である(世間の外の者である)と身分設定 […]
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司馬さん一日一語☞『刀剣』
室町期を通じ 数万口(ふり) 十数万口の日本刀が 船にのせられて 中国へ渡ってゆきました 日本から中国に輸出された—中国がもっともつよく需要した—ものは、刀剣であります。 室町期を通じ、数万口(ふり)、十数万口の日本刀が […]
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司馬さん一日一語☞『豆腐』(とうふ)
豆腐という名が 文献に出てくるのは、 宋代からだという。 豆腐の発明が中国であったことはたしかだが、いつたれが発明した、かとなると、ごく伝承的ながら、一種の定説があって、日本、中国とも、諸書がそれを踏襲している。 漢の高 […]
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司馬さん一日一語☞『陶芸』
陶芸は 人が創るのではなく、 火が作る。 独断をいうようだが、陶芸家というものは、自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない。 その点、絵画や彫刻などの純粋芸術とは異っている。 焼ものに関するかぎり、時代の古い作品ほどい […]
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司馬さん一日一語☞『寺』(てら)
「寺」という文字は、 仏教渡来以前から 存在した。 古代には、むろん神社はない。 ただ威霊が宿ったり降ったりする場所を清らかにしておくだけだった。 人口のものがあったとすれば、清浄の場所をしきるしめなわぐらいのものだろう […]
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司馬さん一日一語☞『出戻り』(でもどり)
江戸期、 航海のことばが、 暮らしのなかまで 入ってきた。 港の船がいったん沖へ出て、天候のかげんでまた港にもどることを“出戻り”というが、 転じて、いったん婚いだ娘が実家にもどっている状態をもさした。 船の船尾を艫(と […]
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司馬さん一日一語☞『です』
「です」という 軽い敬語も、 明治の 小学校教科書から はじまったかと 私は思う。 それまで「です」という言葉はなかった。 敬語としては、ふつう、江戸も京・大坂も「でござります」であった。 軽い場合は、江戸では「でござん […]
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司馬さん一日一語☞『泥炭地』(でいたんち)
明治後、 何十年にもわたって (北海道の)開拓民を なやましたものに、 泥炭地がある。 太古以来、石狩川が氾濫して流域を変えたり、遊水して沼地をつくったりして、そのつどアシやスゲの草が埋まり、腐朽し、どろのように炭化し、 […]
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司馬さん一日一語☞『九十九髪』
久秀の献上した 「つくもがみ」 というのは 茶入れの名である 信長公記の十月二日の条に、「松永弾正は我朝無双のつくもがみ進上申され」とあり、 甫庵太閤記には「天下無双の吉光の脇差を捧げ奉る」とあり、総見記では両方とも献上 […]
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司馬さん一日一語☞『鎮守の森』
昔から鎮守の森 というのがありまして、 むろん今はたれも以下のことは信じていませんが、伝承として、神様は木を伝って降りてくると信じられていました。 だから鎮守は本来森だけだったわけです。 少なくとも十世紀ぐらいにわれわれ […]
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司馬さん一日一語☞『蝶』
私は、 蝶という言葉が、 上代日本人にとって 外国語であることが 気になっている。 蝶、音はテフ。 テフという古い中国語の音は、蝶がその羽をにわかに翻しつつひらひら飛ぶさまから来ている。 人間の暮らしの中にありふれて存在 […]
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司馬さん一日一語☞『朝夕人』
将軍が 「朝夕人」とよぶ。 小便をしたい、 という意味である。 江戸幕府は殿中の制度を立てるにあたって室町幕府を参考にしたが、公人(公儀の下人)という名称も存在も継承しなかった。 「朝夕人」(ちょうじゃくにん)という職名 […]
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司馬さん一日一語☞『魑魅魍魎』
魑とは山の神で、 顔はトラである。 魅とは沢の神で、 顔はイノシシである。 陸軍が二種類ある。 「壮士・志士あがりの近衛軍」 「徴兵制による国防軍である鎮台」 桐野(利秋)が前者を代表しているのに対し、山県(有朋)は後者 […]
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司馬さん一日一語☞『丹前』(たんぜん)
丹後守屋敷の前 ということで、 この風俗営業のことを 略して、丹前とか 丹前風呂とかよんだ。 神田佐柄木町や雉子町のつづきに、堀丹後守という小さな大名の屋敷があって、その付近に風呂屋が多くできた。 店ごとに湯女を多数おい […]
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司馬さん一日一語☞『種子島』
日本の近世史は、 この長篠の戦場における 信長の銃火によって 幕をあけたという べきだろう。 日本の鉄砲の歴史は、たれでも知っているとおり、天文十二年(1543)種子島に漂着したポルトガル船の船長が島の王様種子島時尭(と […]
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司馬さん一日一語☞『谷』(たに)
谷こそ 古日本人にとって めでたき土地だった。 丘(岡)などはネギか大根、せいぜい雑穀しか植えられない。 江戸期のことばでも、碁の岡目八目とか岡場所(正規でない遊里)という場合の岡は、傍とか第二義的な土地という意味だった […]
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司馬さん一日一語☞『ダテ』
男を立てるから 男だてといい、 それから独立して 「ダテ」という ことばが出来た。 元和九年七月、将軍秀忠は、嗣子家光に世をゆずった。 家光は父の秀忠とともに上洛して、将軍宣下を受けた。 諸大名皆これに供奉したが、伊達政 […]
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司馬さん一日一語☞『韃靼』(だったん)
民族名であり、 地域名でもあったが、 しかし いまはこんな名称は 現実には存在しない。 韃靼(だったん)の韃は、明の辞書である「字彙」によると、撻(たつ/むちうつ)からきている。 馬をむちうって駆けるというイメージからつ […]
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司馬さん一日一語☞『大納言』(だいなごん)
大納言というのは、 大宝律令でできた 官職で 大臣のつぎの職である。 大臣が参内しないときは、それに代理して諸政をみた。 比較はできないが、比喩としていえばいまの事務次官にあたるであろう。 千二百年前の日本の官人、知識層 […]
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司馬さん一日一語☞『大儀』(たいぎ)
「大儀」 秀頼という青年は、 家来にこれ以上 ながいことばを 言ったことがない。 なみはずれた大男で容貌も秀麗であり、内々のうわさで漢字(まな)の書物などもすらすら読むくせに、表お座所に出るとこれだけしか言えないのである […]
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司馬さん一日一語☞『隊』(たい)
隊という言葉は、 元来日本語には なかった。 武士の組織単位のことは戦国以来「組」とよばれ江戸期の幕藩体制にもこの単位用語がつかわれた。 幕末の長州藩が幕府と対峙したときに挙藩一致の動員をおこなわざるをえなくなり、 軽格 […]
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司馬さん一日一語☞『尊王攘夷』
あるいは 尊王賤覇とも いうのです。 朱子学の道はまた別な要素、尊王攘夷がやかましくいわれる。あるいは尊王賤覇ともいうのです。 尊王攘夷の夷はあくまでも異民族という意味で、これは中国で起こった宗学の家庭の事情によるもので […]
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司馬さん一日一語☞『世間虚仮』
七世紀の聖徳太子が 大好きなことばだった。 世間(せけん)というのは現象世界のことで、こんにちでいう、世界の意味です。 世界は虚仮(こけ)、仮のものである、というのは、七世紀の当時だからこそ—その程度の生産能 […]
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司馬さん一日一語☞『製紙』(せいし)
製紙法がいつどこから 伝わったものなのか 正確に論証しがたいが、 ふつう『日本書紀』の 推古天皇十八年春三月の くだりがよりどころに なっている。 高麗王の命によって渡日した僧曇徴が、その年、製紙、製墨、あるいは彩色の法 […]
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司馬さん一日一語☞『正義』
正義という 人迷惑な一種の 社会規範は、 幕末以前には日本に なかったといっていい。 当時(幕末)の日本人は、知識人でも日本史の知識をいまの中学生ほども知っていなかった。 通史といえば『日本外史』一冊きりなのである。『日 […]
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司馬さん一日一語☞『スマート』
私は海軍のことを 知らないが、 その精神教育は—- 海軍士官は スマートであれ。 という一点に尽きるらしい。 とくに速成教育で士官になるひとびとはこのひとことに感動し、生涯海軍びいきになってしまうという。 ス […]
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司馬さん一日一語☞『杉』(すぎ)
杉が建材として 流行したのは、 せいぜい室町時代ごろ からかと思える。 古い寺院建築や書院造りの建物をみても、ヒノキのようなずっしりした硬い材が主役で、杉のような軟らかくてかるがるした材は、せいぜい杉戸のようなものとして […]
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司馬さん一日一語☞『スキタイ』
紀元前六世紀から 前三世紀ごろにかけて、 黒海北岸の草原地帯を 騎馬でかけまわっていた イラン系の民族 スキタイのひとびとは二つの発明を人類に遺したことで知られる。 一つは馬の背にじかに乗るという、それまで人間が思いもつ […]
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司馬さん一日一語☞『数寄』(すうき)
「好・数寄・数奇」 という、室町文化を 特徴づけることばは、 愉悦であるとともに、 毒として理解されて いた。 昂ずれば城をほろぼし、商いに身が入らず、身上をつぶすという危険と表裏をなしているからこそ、 数寄をつらぬいた […]
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司馬さん一日一語☞『随分だわね』
このことばづかいは、 明治三十年代から、 山の手を中心に はやりはじめた ものかと おもわれる。 鴎外は、明治四十二年、『団子坂』という題の小品を書いた。 「……あなたが僕の傍に来て、いくら堅くしていたって、僕の目はあな […]
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司馬さん一日一語☞『推敲』(すいこう)
文章の辞句を あれこれ考えることを “推敲”するという。 唐代の詩人に、賈島(かとう)という人がいる。 賈島は、迷いの多い性格をもち、その生涯もその性格にふさわしくひそやかだった。 そのあたり、なんともいえず私はすきであ […]
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司馬さん一日一語☞『助勤』(じょきん)
助勤とは、 幕末の京における 新選組の組織上の 用語のひとつ なのである。 新選組は、組織としては、前例のないしくみになっていた。 組織の長は、いうまでもなく近藤勇であった。 近藤は、組織上、超然たる存在だった。 副長で […]
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司馬さん一日一語☞『縄文時代』
日本の新石器時代は、 学者たちが ヒトの暮らしへの 愛をこめて 縄文時代と命名した。 縄文時代とは、いうまでもなく、一万年間(米作が紀元前数百年前に伝来するまで)ほどつづいた先史時代の名称である。 その土器に縄目が刻まれ […]
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司馬さん一日一語☞『上人』(しょうにん)
葬式をするお坊さん というのは 非僧非俗の人、 お上人でした。 いまは、日本語が紊乱しまして、上人(しょうにん)と言うと、 偉い人のようにきこえますが、 上人というのは資格を持たない僧への敬称であって、たとえば 空海上人 […]
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司馬さん一日一語☞『浄土』(じょうど)
浄土は地理的に 西方にある。 そこに光明そのもの というべき 阿弥陀如来が おられて、 いっさいの人間を 救ってくださる というのである。 覚鑁(かくばん)は「密厳浄土ということをさかんにとなえた」人。 空海がひらいた真 […]
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司馬さん一日一語☞『春慶塗』
春慶というのは、 人の名らしい。 一説では十四、五世紀ごろ、堺に住んでいた漆工で、この塗りはこの人の工夫にかかるといわれている。 漆といっても、ぼってりと塗りかさねられた上手(じょうて)なものではない。 木目などの生地の […]
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司馬さん一日一語☞『遮光器土偶』
古代人は、 写実がつまらないと おもっていたらしく、 好きな部分を 思いきって誇張した。 亀ヶ岡は、標高約15ないし20メートルほどもある。 この丘が縄文晩期、あたかも都市のように栄えたのは、 まわりに大小の湖沼をめぐら […]
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司馬さん一日一語☞『しづ』
「しづ」という 古代の織物は、 平安時代ぐらいまで 存在したろう。 私どもの先祖はそういうものを着ていて、寒さをしのいだのである。 梶の木という木の繊維と麻の繊維で、スジや格子模様を織りだす織物をいう。 織り模様を出すと […]
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司馬さん一日一語☞『醜男』(しこお)
醜は、古語である。 にくにくしいまでに 強いこと、あるいは そういう人をさす。 『古事記』を真にうけるとすれば、その始祖は健速(たけはや/勇猛で敏捷)なスサノオ命(須佐之男命)である。 その首都は、出雲の須賀にあった。 […]