月: 2019年2月の記事一覧
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司馬さん一日一語☞『カラ』
「カラ」という 古語は、 海のむこうのこと である。 古朝鮮においては、その半島の南端、洛東江の下流の小地域が伽耶(伽羅)国とよばれていて、そのあたりに「倭」とよばれる者達も混在していた。 「カラ」という古語は、海のむこ […]
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司馬さん一日一語☞『傾く』(かぶく)
「傾く」(かぶく) ということばが 室町末期戦国のころ に流行した。 伊達と似たような内容のことばで、傾斜した精神、服装というような意味をもつ。 歌舞伎ということばが動詞になったのであろう。 かぶきは、もともとあの演劇を […]
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司馬さん一日一語☞『蕪』(かぶ)
蕪は、正しくは 「カブラ」で、 文字は蕪菁と書く。 ところで、漢語に「諸葛菜」ということばがある。 蕪の一種で、種子をまくとすぐかたちになるらしく、なまでかじる ことができる。 というようなことが『嘉話録』という本にある […]
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司馬さん一日一語☞『喝』(かつ)
日本漢音ではカツ、 禅のほうでは、 カーツなどといい、 どなるときの気声である。 室町から江戸初期までの臨済禅は、驚くほどナマの中国語 (浙江方言が多かった)を問答につかった。 このあたり、大正・昭和の洋画家がフランス語 […]
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司馬さん一日一語☞『徒士』(かち)
徒士(かち)というのは下士で、 戦場では騎乗せず、 家来をつれず、 ただひとり徒歩(かち)で歩く。 おなじ徒歩者でも足軽より上で、卒ではない。 士分(上士)と決定的にちがうのは、知行(領地)をもたないことである。 従って […]
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司馬さん一日一語☞『カタリベ』
カタリベとは 魚類でも植物でもない ヒトである 上古、文字のなかったころ、諸国の豪族に奉仕して、 氏族の旧辞伝説を物語ったあの記憶技師のことだ。 語部という。 当時無数にいたであろうかれら古代的な技術者のなかで、 『古事 […]
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司馬さん一日一語☞『華族』
華族というのは、 公侯伯子男。 江戸体制をつぶしたとき 公卿や諸大名の礼遇を考えねばならなくなって 設けられた制度です。 とくに維新に功績のあった大名は特別のはからいがありましたが、 平凡な大名は石高に応じて爵位があたえ […]
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司馬さん一日一語☞『上総守』
信長についていえば、 一時期「上総守」を 称しましたが、 こういう「守」は ないのです。 信長についていえば、若いころのかれは京都文化などほとんど知りませんでした。 この時代、かれのような出来星(できぼし)の田舎の小大名 […]
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司馬さん一日一語☞『花器』
ちかごろの花器は、 自己主張のアクが つよすぎるのでは ないか。 花器は「用」をはなれて存在しない。 花を活けてはじめて花も生き己も生きるというハタラキが「用」の精神というべきものだが、若い意欲的な陶芸家にはこれが満足で […]
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司馬さん一日一語☞『戒名』
死者に戒名をつける などという奇習が はじまったのは ほんの近世になって からである。 戒名(かいみょう)の話をしますと、 要するに日本仏教は中国経由の仏教でしたから、漢字表現で入りました。 つまりお坊さんは中国人でした […]
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司馬さん一日一語☞『我』
“我”(が) というのは、 わたしなら 私という者の しんらしいのです。 “我”(が)は古代インドの正統バラモン思想の淵源とされる『奥義書』(ウバニシヤツド)の世界では、アートマン(梵語=サンスクリット)というまことにひ […]
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司馬さん一日一語☞『親潮』
親潮とは 日本の漁業者から出た 賞賛と感謝の名である。 オホーツク海は、海面の塩分がすくないらしい。 黒竜江(アムール)などの淡水の流入のためだそうで、 この真水に近い海面に“オホーツク海気団”が居すわり、 南から湿った […]
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司馬さん一日一語☞『お目こぼし』
おめこぼし ということばが、 関八州では よく使われた。 いわゆる関八州の大部分が天領で、農民の身分生活を 締めつける治安機能はまことにゆるやかであった。 この関東という広大な地を、 江戸に役所をもつ関東御代官という職分 […]
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司馬さん一日一語☞『御伽衆』
御伽衆というのは 戦国期の大名が持った 身辺の制度らしい。 秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)の場合、いつも殿中に詰めているが べつに責任のある仕事はなく、 秀吉の話相手をつとめるということで禄をもらっていたような感じである。 […]
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司馬さん一日一語☞『おとうさん』
おとうさん・ おかあさん の成立と普及は、 明治維新で成立した はずの一階級主義の 定着に大きく 役立ったかと思われる。 文部省という機関・機能を設けることを考えたのは、明治初期政権の大きな発明だったといっていい。 たと […]
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司馬さん一日一語☞『御師』
御師は、 中世から近世に かけて活躍した。 伊勢神宮にも、 御師(おし)のグループがいた。 立山の場合もそうだったが、 伊勢神宮の場合も御師は参詣者を泊める宿を営む。 単に泊めるだけでなく、御師みずから祈祷もし、 あるい […]
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司馬さん一日一語☞『おこし』
菓子としての おこしの歴史は、 よほど古いかと おもわれる。 材料の飴は、すでに『日本書紀』の神武紀に出ていることからみると、よほど古いらしい。 むしろ飴をつくることは、縄やわらじなどと同様、稲作文化のなかにセットとして […]
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司馬さん一日一語☞『おけら詣り』
おけら、 白朮(びゃくじゅつ) とかく。 キク科の薬草である。 祇園の八坂神社で禰宜さんが潔斎し、衣冠束帯して木の道具でもって火をおこし、その浄火を、境内に積みあげられたおけらに移し、大きくたきびをたく。 その火を、京の […]
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司馬さん一日一語☞『お国』
出雲おんな というのは、 性的魅力がある点で 古来有名である。 京の公卿は、平安時代から、女は出雲、として、そばめとして京へ輸入した。 いわゆる京美人は出雲おんなが原種になっている。 出雲おんなは、美人というよりこびが佳 […]
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司馬さん一日一語☞『億劫須臾』
このことばが 南北朝時代、 大徳寺を紫野に開いた 大灯国師の文章から とられたことは、 まぎれもない。 億劫(おくこう)も須萸(しゆゆ)も、時間のことである。 億劫が、宇宙的なほどにかぎりなくながい時間であるのに対し、 […]
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司馬さん一日一語☞『往来』
「往来」という ことばを考えてみた。 意味は、ふつう道路あるいは人馬のゆききのことだが、 鎌倉時代から江戸時代にかけて、 「往来」(おうらい)といえば、 寺子屋などでつかう初等教育の教科書のことであった。 たとえば江戸末 […]
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司馬さん一日一語☞『おきゃん』
とくに 深川芸者の 心意気を あらわすことば として 多用された。 「辰巳芸者」。 江戸の代表的遊里である吉原が北里とよばれるのに対し、 南東(たつみ)とよばれたところから出たらしい。 江戸時代、羽織は男しか着ないもので […]
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司馬さん一日一語☞『演説』
日本語は 訥弁であり、 演説より 談合に向いている のである。 演説というのは、 開化の明治期が輸入した最も重要な技術種目の一つで、しかもついにものにならず、今なおものになっていないというあたりに、オッペケペの問題を考え […]
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司馬さん一日一語☞『遠州』
遠州というのは、 通り名である。 慶長十三(1608)年、従五位下遠江守に叙せられ、 生涯その官位にあったから、在世中も後世もその称号でよばれる。 「遠州行燈」円筒形の塗りのあんどんである。 伊賀焼のなかで、肉薄でやや白 […]
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司馬さん一日一語☞『江戸弁』
江戸弁というのは 母音がみじかく、 子音を強く発する。 “耳を掻っぽじって聞きやがれ”などという。 “めしを掻っ食う(くらう)”といえば、 大刺青の男が真夏にもろはだぬぎでめしを食っている情景までうかぶ。 スリが財布を“ […]