年: 2019年の記事一覧
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司馬さん一日一語☞『カラ』
「カラ」という 古語は、 海のむこうのこと である。 古朝鮮においては、その半島の南端、洛東江の下流の小地域が伽耶(伽羅)国とよばれていて、そのあたりに「倭」とよばれる者達も混在していた。 「カラ」という古語は、海のむこ […]
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司馬さん一日一語☞『傾く』(かぶく)
「傾く」(かぶく) ということばが 室町末期戦国のころ に流行した。 伊達と似たような内容のことばで、傾斜した精神、服装というような意味をもつ。 歌舞伎ということばが動詞になったのであろう。 かぶきは、もともとあの演劇を […]
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司馬さん一日一語☞『蕪』(かぶ)
蕪は、正しくは 「カブラ」で、 文字は蕪菁と書く。 ところで、漢語に「諸葛菜」ということばがある。 蕪の一種で、種子をまくとすぐかたちになるらしく、なまでかじる ことができる。 というようなことが『嘉話録』という本にある […]
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司馬さん一日一語☞『喝』(かつ)
日本漢音ではカツ、 禅のほうでは、 カーツなどといい、 どなるときの気声である。 室町から江戸初期までの臨済禅は、驚くほどナマの中国語 (浙江方言が多かった)を問答につかった。 このあたり、大正・昭和の洋画家がフランス語 […]
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司馬さん一日一語☞『徒士』(かち)
徒士(かち)というのは下士で、 戦場では騎乗せず、 家来をつれず、 ただひとり徒歩(かち)で歩く。 おなじ徒歩者でも足軽より上で、卒ではない。 士分(上士)と決定的にちがうのは、知行(領地)をもたないことである。 従って […]
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司馬さん一日一語☞『カタリベ』
カタリベとは 魚類でも植物でもない ヒトである 上古、文字のなかったころ、諸国の豪族に奉仕して、 氏族の旧辞伝説を物語ったあの記憶技師のことだ。 語部という。 当時無数にいたであろうかれら古代的な技術者のなかで、 『古事 […]
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司馬さん一日一語☞『華族』
華族というのは、 公侯伯子男。 江戸体制をつぶしたとき 公卿や諸大名の礼遇を考えねばならなくなって 設けられた制度です。 とくに維新に功績のあった大名は特別のはからいがありましたが、 平凡な大名は石高に応じて爵位があたえ […]
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司馬さん一日一語☞『上総守』
信長についていえば、 一時期「上総守」を 称しましたが、 こういう「守」は ないのです。 信長についていえば、若いころのかれは京都文化などほとんど知りませんでした。 この時代、かれのような出来星(できぼし)の田舎の小大名 […]
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司馬さん一日一語☞『花器』
ちかごろの花器は、 自己主張のアクが つよすぎるのでは ないか。 花器は「用」をはなれて存在しない。 花を活けてはじめて花も生き己も生きるというハタラキが「用」の精神というべきものだが、若い意欲的な陶芸家にはこれが満足で […]
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司馬さん一日一語☞『戒名』
死者に戒名をつける などという奇習が はじまったのは ほんの近世になって からである。 戒名(かいみょう)の話をしますと、 要するに日本仏教は中国経由の仏教でしたから、漢字表現で入りました。 つまりお坊さんは中国人でした […]
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司馬さん一日一語☞『我』
“我”(が) というのは、 わたしなら 私という者の しんらしいのです。 “我”(が)は古代インドの正統バラモン思想の淵源とされる『奥義書』(ウバニシヤツド)の世界では、アートマン(梵語=サンスクリット)というまことにひ […]
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司馬さん一日一語☞『親潮』
親潮とは 日本の漁業者から出た 賞賛と感謝の名である。 オホーツク海は、海面の塩分がすくないらしい。 黒竜江(アムール)などの淡水の流入のためだそうで、 この真水に近い海面に“オホーツク海気団”が居すわり、 南から湿った […]
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司馬さん一日一語☞『お目こぼし』
おめこぼし ということばが、 関八州では よく使われた。 いわゆる関八州の大部分が天領で、農民の身分生活を 締めつける治安機能はまことにゆるやかであった。 この関東という広大な地を、 江戸に役所をもつ関東御代官という職分 […]
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司馬さん一日一語☞『御伽衆』
御伽衆というのは 戦国期の大名が持った 身辺の制度らしい。 秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)の場合、いつも殿中に詰めているが べつに責任のある仕事はなく、 秀吉の話相手をつとめるということで禄をもらっていたような感じである。 […]
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司馬さん一日一語☞『おとうさん』
おとうさん・ おかあさん の成立と普及は、 明治維新で成立した はずの一階級主義の 定着に大きく 役立ったかと思われる。 文部省という機関・機能を設けることを考えたのは、明治初期政権の大きな発明だったといっていい。 たと […]
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司馬さん一日一語☞『御師』
御師は、 中世から近世に かけて活躍した。 伊勢神宮にも、 御師(おし)のグループがいた。 立山の場合もそうだったが、 伊勢神宮の場合も御師は参詣者を泊める宿を営む。 単に泊めるだけでなく、御師みずから祈祷もし、 あるい […]
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司馬さん一日一語☞『おこし』
菓子としての おこしの歴史は、 よほど古いかと おもわれる。 材料の飴は、すでに『日本書紀』の神武紀に出ていることからみると、よほど古いらしい。 むしろ飴をつくることは、縄やわらじなどと同様、稲作文化のなかにセットとして […]
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司馬さん一日一語☞『おけら詣り』
おけら、 白朮(びゃくじゅつ) とかく。 キク科の薬草である。 祇園の八坂神社で禰宜さんが潔斎し、衣冠束帯して木の道具でもって火をおこし、その浄火を、境内に積みあげられたおけらに移し、大きくたきびをたく。 その火を、京の […]
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司馬さん一日一語☞『お国』
出雲おんな というのは、 性的魅力がある点で 古来有名である。 京の公卿は、平安時代から、女は出雲、として、そばめとして京へ輸入した。 いわゆる京美人は出雲おんなが原種になっている。 出雲おんなは、美人というよりこびが佳 […]
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司馬さん一日一語☞『億劫須臾』
このことばが 南北朝時代、 大徳寺を紫野に開いた 大灯国師の文章から とられたことは、 まぎれもない。 億劫(おくこう)も須萸(しゆゆ)も、時間のことである。 億劫が、宇宙的なほどにかぎりなくながい時間であるのに対し、 […]
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司馬さん一日一語☞『往来』
「往来」という ことばを考えてみた。 意味は、ふつう道路あるいは人馬のゆききのことだが、 鎌倉時代から江戸時代にかけて、 「往来」(おうらい)といえば、 寺子屋などでつかう初等教育の教科書のことであった。 たとえば江戸末 […]
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司馬さん一日一語☞『おきゃん』
とくに 深川芸者の 心意気を あらわすことば として 多用された。 「辰巳芸者」。 江戸の代表的遊里である吉原が北里とよばれるのに対し、 南東(たつみ)とよばれたところから出たらしい。 江戸時代、羽織は男しか着ないもので […]
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司馬さん一日一語☞『演説』
日本語は 訥弁であり、 演説より 談合に向いている のである。 演説というのは、 開化の明治期が輸入した最も重要な技術種目の一つで、しかもついにものにならず、今なおものになっていないというあたりに、オッペケペの問題を考え […]
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司馬さん一日一語☞『遠州』
遠州というのは、 通り名である。 慶長十三(1608)年、従五位下遠江守に叙せられ、 生涯その官位にあったから、在世中も後世もその称号でよばれる。 「遠州行燈」円筒形の塗りのあんどんである。 伊賀焼のなかで、肉薄でやや白 […]
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司馬さん一日一語☞『江戸弁』
江戸弁というのは 母音がみじかく、 子音を強く発する。 “耳を掻っぽじって聞きやがれ”などという。 “めしを掻っ食う(くらう)”といえば、 大刺青の男が真夏にもろはだぬぎでめしを食っている情景までうかぶ。 スリが財布を“ […]
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司馬さん一日一語☞『江戸府の文化』
江戸府の文化には 名状しがたい 魅力がある。 どうも、キザという精神は 日本の地方文化のなかで江戸文化にしかない。 要するにキザはキザとして調子をあわせ、その場の会話を無意味に 楽しんでゆくのが大事なところで、それをから […]
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司馬さん一日一語☞『越前和紙』
越前における 奉書、鳥子は、 江戸時代にすでに 評価が確立していて、 越前の重要な産物で あった。 越前今立で漉かれてきた和紙は、 懐紙や往来物につかう安っぽい紙ではなく、奉書である。 元来は、平安期の院宣、室町将軍の御 […]
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司馬さん一日一語☞『蝦夷』
奥州王朝の 最後の光芒を 放ったものが いわゆる 藤原三代であり その首都が平泉である。 中央の貴族たちは、 これを「蝦夷」 とよんだ。 われわれの日本史のなかでは白河以北のいわゆる「奥」はながいあいだ独立国であった。 […]
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司馬さん一日一語☞『英雄』
英雄とは、 巨大なる自己と、 さらにはその自己を 気球のように 肥大化させてゆく 人物のことである。 名声への自己陶酔と、 さらなる名声の獲得にむかって 行動する精神のダイナミズムと考えていいだろう。 それらを一人格のな […]
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司馬さん一日一語☞『雲水』
雲水という ことばは、 禅宗だけのもの である。 『広辞苑』によると 「(行雲・流水のようにゆくえの定まらぬことから)所定めず遍歴修行する僧。行脚僧」ということになっている。 のちに文学者(俳人)として名を知られるように […]
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司馬さん一日一語☞『浮気者』
浮気者というのは、 度はずれて 自己顕示欲がつよく、 自分の武名を 高めるためには まわりの迷惑を 考えない男という 意味である。 この時代(戦国期)、 武辺者といわれるほどの男にはこの種の者が多く、 いわば戦国期以来の […]
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司馬さん一日一語☞『右翼・左翼』
「右翼」といっても、 もとからそうした 思想があったという わけではありません。 大正末年に「左翼」は生まれ、 その反作用として「右翼」が生まれたのです。 「左翼」とは、もともと十八世紀末のフランス国民議会の席が、 議長 […]
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司馬さん一日一語☞『于闐』
東大寺という存在と、 その根本経典である 『華厳経』の ふんい気を感じるには、 古代于闐国の存在は 外せない。 正確にいえば、 東大寺は古代于闐国の文化がゆきついた端であるともいえる。 古代の于闐(うてん)は、 タリム盆 […]
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司馬さん一日一語☞『卯建』
うだつは、 家々の櫛比した 町家にかぎられる。 日本では室町末期に洛中洛外図屏風に見られるというが、 形としてなっとくできるそれは江戸期に入ってからで、 市街地の商家などに多い。 隣家との境に類焼ふせぎのための屋根つき・ […]
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司馬さん一日一語☞『鵜飼』
鵜飼というのは まことに 奇妙な漁法だが、 『日本書紀』にも 『古事記』にも 出ているから、 よほど古い漁法 なのであろう。 だれが発明したものでもなさそうで、中国のとくに江南の地には、 杜甫の詩に詠まれた昔からごく一般 […]
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司馬さん一日一語☞『入れこむ』
耳にさわるのは、 「入れこむ」という 動詞である。 たとえば、 「最近、釣りに入れこんでいます」 というふうに、である。 熱中する、という 意味らしい。 おそらく。 『入れあげる』の誤用かとも思われる。 入れあげるは、主 […]
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司馬さん一日一語☞『イヨマンテ』
イヨ(オ)マンテ というのは 『広辞苑』に 入っているほどに、 よく知られた ことばである。 ふつうアイヌの熊祭のことをいうが、クマだけでなく 人間のたべものになってくれる生物は、食後、 すべて神(カムイ)として、 イナ […]
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司馬さん一日一語☞『イネ』
イネという言葉は、 かって 百越(ひゃくえつ)と よばれた 古代タイ語族系の末裔的 な言語である 中国南部の汕頭(スワトー)音の イネから 出ているといわれます。 さらには中国で稲が栽培されはじめたのは 紀元前三〇〇〇年 […]
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司馬さん一日一語☞『犬』
犬が、 多少とも物を思う ようになると、 日本人を訝しむ かもしれない。 今でこそ犬も非常な地位を得ているが、 明治以前は、犬畜生などといって下等なものとされていた。 古来、犬という文字がつく単語にろくな言葉がない。 植 […]
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司馬さん一日一語☞『一所懸命』
自分の田畑という 一所のために 命を懸けるという あり方が、 一所懸命という 慣用語を生んだ。 一所懸命(いっしょけんめい)という姿勢は、律令時代の農民には なかったであろう。 その一所のために自作農は新興有勢家を頼り、 […]
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司馬さん一日一語☞『一里』
一里は、 いうまでもなく 三十六町である。 江戸時代の一里塚も、官道の三十六町ごとに、 道路の両側に一基ずつならべて築かれていた。 しかし日本の一里が上代から三十六町であったということはない。 奈良朝以前は、文化は諸事朝 […]
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司馬さん一日一語☞『一文不知』
法然は、念仏は、 「一文不知」 (無学であること) の心にやどるとき 輝きがあるという。 「一文不知」(いちもんふち)ということばは、 日本語としては、 法然が臨終の前、弟子から請われ、遺戒として書いた ごくみじかい文章 […]
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司馬さん一日一語☞『一味』
ある目的のためには、 身分の上下はない。 みな気をそろえ、 平等に力をつくそう。 ということから、 一味が社会的な用語に なった。 もともと仏教語で 「法(絶対の真理)の前にはすべて平等である」 というのが原意で、願阿弥 […]
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司馬さん一日一語☞『いじめる』
いじめる、という 隠微な排他感覚から 出たことばは、 日本独自の秩序文化に 根ざしたことば というべきで、 たとえば日本語が古い時代に多量に借用した漢語にもなく、 現代中国語にもなさそうである。 英語やフランス語にもない […]
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司馬さん一日一語☞『殷』
殷人は黄色人種 (モンゴロイド)には ちがいないが、 それが、 どういう経緯で 高度の青銅冶金技術を 手に入れたか、 じつに ふしぎというほかない。 青銅文化の歴史は、 紀元前一六〇〇年ぐらいに成立した殷よりも、西アジア […]
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司馬さん一日一語☞『安堵』
中世の日本人にとって もっとも重要な 法律用語の ひとつであった。 京都の天皇と公家たちをもって、 「公」とし、公の名で日本国の土地と人民を独占したのは奈良・平安朝の律令体制で、最初から無理があった。 この体制の前提は社 […]
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司馬さん一日一語☞『アリノミ』
平安朝のひとびとが よほど梨を好み これを愛していた 証拠に 名前まで変えて 「アリノミ」と よんだほどだった。 無シということばを忌んで、アリノミとしたのである。 日本における梨は、 本来、小さな実だった。 蒔絵に金粉 […]
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司馬さん一日一語☞『あり』
「あり」というのは、 記紀や万葉の語感では ずっと居つづけている という意味がこめられて いるように思える。 夜が明けても月が空に居つづけるためにありあけであり、 また『万葉集』第八十七の 「ありつつも君をば待たむ打ち靡 […]
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司馬さん一日一語☞『アヅミ』
アヅミのヅミとは、 トモ、ツモという 古代語と同義語 だったのではないか。 強いて漢字にすると、 友、つまりグループということだろう(他の例でいうと出雲、大伴などがある)。 かれら海人の居住地が、アヅミという地名になって […]
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司馬さん一日一語☞『厚司』
「厚司」という 日本の衣類がある。 明治ごろから職人や 漁師の労働着として つかわれた 一種の羽織で、 錦糸で丈夫に織られて おり、紺もしくは 白黒の大名縞のものが 多い。 歌舞伎では「義経千本桜」で 渡海屋銀平が厚司( […]
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司馬さん一日一語☞『新しい』
新しいという字は、 字解すると、 「木を切って立つ」 ということですね。 立ち木を切って生木の匂いがプンプンする、 それが新しいという字になった。 古代中国の殷帝国が始まる前は、 華北地方は密林だったという説があります。 […]
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司馬さん一日一語☞『阿修羅』
阿修羅は もとは古代ペルシアの 神だったといわれるが、 インドに入り、 時がたつにつれて 次第に悪神(非天)に なった。 しかしながら 興福寺の阿修羅(あしゅら)にはむしろ愛がたたえられている。 少女とも少年ともみえる清 […]
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司馬さん一日一語☞『葦・葭』
周知のことだが、 葦も葭も、 一つの植物を さす異称である。 葦が悪(あ)しに 通ずるために、 わざと 善(よ)しに 言いかえて 中世の農民たちは 排水のわるい湿地の 開墾をはじめた のではないか。 葦(あし)・葭(よし […]
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司馬さん一日一語☞『あざらし』
あざらし。 漢字をあてると、 海豹あるいは水豹。 北海道の氷雪の海に 棲んでいて、 日本の近海にはいない。 でありながら、平安時代の上級武士が武装に綺羅をこらすとき、この海獣の毛皮は欠かせないものだった。 太刀の尻鞘につ […]
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司馬さん一日一語☞『浅葱裏』
江戸時代のことばで、 田舎者や 野暮天のことを、 「浅葱裏」といった。 江戸時代、 田舎の藩の勤番侍などが、 着物の裏に浅葱もめんをつかっている。 そういうのが野暮なことから、 そういう言葉ができたのだろう。 お酒のまわ […]
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司馬さん一日一語☞『愛』
明治以前、 愛はあまり 徳目としては 言われなかった 愛という語は、在来の東洋思想では使用頻度がきわめてすくなく、 明治後キリスト教が入ってきてから訳語としての熟語(たとえば友愛、博愛)がさかんにつくられ、 徳目としても […]