「カラ」という 古語は、 海のむこうのこ…
「傾く」(かぶく) ということばが 室町…
蕪は、正しくは 「カブラ」で、 文字は蕪…
日本漢音ではカツ、 禅のほうでは、 カー…
徒士(かち)というのは下士で、 戦場では…
カタリベとは 魚類でも植物でもない ヒト…
華族というのは、 公侯伯子男。 江戸体制…
信長についていえば、 一時期「上総守」を…
ちかごろの花器は、 自己主張のアクが つ…
死者に戒名をつける などという奇習が は…
“我”(が) というのは、 わたしなら …
親潮とは 日本の漁業者から出た 賞賛と感…
おめこぼし ということばが、 関八州では…
御伽衆というのは 戦国期の大名が持った …
おとうさん・ おかあさん の成立と普及は…
御師は、 中世から近世に かけて活躍した…
菓子としての おこしの歴史は、 よほど古…
おけら、 白朮(びゃくじゅつ) とかく。…
出雲おんな というのは、 性的魅力がある…
このことばが 南北朝時代、 大徳寺を紫野…
「往来」という ことばを考えてみた。 意…
とくに 深川芸者の 心意気を あらわすこ…
日本語は 訥弁であり、 演説より 談合に…
遠州というのは、 通り名である。 慶長十…
江戸弁というのは 母音がみじかく、 子音…
江戸府の文化には 名状しがたい 魅力があ…
越前における 奉書、鳥子は、 江戸時代に…
奥州王朝の 最後の光芒を 放ったものが …
英雄とは、 巨大なる自己と、 さらにはそ…
雲水という ことばは、 禅宗だけのもの …
浮気者というのは、 度はずれて 自己顕示…
「右翼」といっても、 もとからそうした …
東大寺という存在と、 その根本経典である…
うだつは、 家々の櫛比した 町家にかぎら…
鵜飼というのは まことに 奇妙な漁法だが…
耳にさわるのは、 「入れこむ」という 動…
イヨ(オ)マンテ というのは 『広辞苑』…
イネという言葉は、 かって 百越(ひゃく…
犬が、 多少とも物を思う ようになると、…
自分の田畑という 一所のために 命を懸け…
一里は、 いうまでもなく 三十六町である…
法然は、念仏は、 「一文不知」 (無学で…
ある目的のためには、 身分の上下はない。…
いじめる、という 隠微な排他感覚から 出…
殷人は黄色人種 (モンゴロイド)には ち…
中世の日本人にとって もっとも重要な 法…
平安朝のひとびとが よほど梨を好み これ…
「あり」というのは、 記紀や万葉の語感で…
新しいという字は、 字解すると、 「木を…
阿修羅は もとは古代ペルシアの 神だった…
明治以前、 愛はあまり 徳目としては 言…
平安時代は、 独自の基準を 生んだ。 私…
この人物は、 不条理や不可知なる ものを…
いわゆる “流儀ばな” という名で 遺さ…
漢の高祖は 儒礼を採用して はじめて 皇…
もとの意味は、 対の壇のこと である。 …
日本史には巨大な ゴールド・ラッシュ が…
日露戦争後の 最初の愚行は、 官修の 『…
外法とは外道と 同じような意味で、 仏法…
和風とは なんだろうと 考えてみた。 土…
わびとは 華やぎに 裏うちされた もので…
国内の争乱と競争の エネルギーが、 海外…
倭というのは、 どういう 人間的イメージ…
老熟というのは 他者の立場や事情に 対し…
「流」というのは 律令の刑罰の一つで 死…
料簡というのは、 仏典の中の漢語で、 料…
戦国期に 隆逹節が 一世を風靡し、 その…
「養生」というのは、 鎌倉時代もしくは …
歯をみがく 木製(まれに竹製)の 道具の…
日本人は ことさらに 様式を尊びます。 …
ゆふ(木棉・由布)は 上代語で、 木の皮…
「友情」 というのは 明治以後に 輸入し…
「夜郎自大」 という言葉が、 『史記』の…
紀元前三世紀ごろに 稲が北九州に伝来し、…
古代から幕末までの 日本の航海術は、 「…
山伏は 不動明王を 尊崇する。 不動明王…
平安期には、 「山」といえば、 叡山のこ…
相続権のない 弟ぶんは、 江戸時代では、…
モヨウ・モンヨウ という ことばについて…
主水というのは、 古語である。 奈良・平…
桃の実も桃の木も、 中国の古代信仰 --…
モメン(木綿) という この植物繊維の …
名人ということばは 漢語にもあり、 盛名…
物の怪とは、 たとえば鬼や狐狸や その他…
牧谿は、 南宋末の禅僧である。 水墨画を…
紫野とは、 染料の紫をとる 紫草がはえて…
つまり 一定のままではない ということで…
国家は 後からやってきた ものだが、 民…