司馬さん一日一語☞『一文不知』

法然は、念仏は、
「一文不知」
(無学であること)
の心にやどるとき
輝きがあるという。

「一文不知」(いちもんふち)ということばは、
日本語としては、
法然が臨終の前、弟子から請われ、遺戒として書いた

ごくみじかい文章(「一枚起請文」)につかったことばである。
その後、法然の徒のあいだで
つかわれるぐらいで、共有化の未熟なことばといっていい。

法然は、念仏は、
「一文不知」(無学であること)の心にやどるとき
輝きがあるという。

不幸にして「一代の法」(釈迦一代の教え)を
くわしく学んだとしても、

なにも知らない「愚とん」として自分の心を置かねば
光をうしなうというのである。

☞︎出典:『ある運命について』(中央公論社)

 

おすすめ記事

 

wadayuuki

Share
Published by
wadayuuki

Recent Posts

司馬さん一日一語☞『カラ』

「カラ」という 古語は、 海の…

5年 ago

司馬さん一日一語☞『傾く』(かぶく)

「傾く」(かぶく) ということ…

5年 ago

司馬さん一日一語☞『蕪』(かぶ)

蕪は、正しくは 「カブラ」で、…

5年 ago

司馬さん一日一語☞『喝』(かつ)

日本漢音ではカツ、 禅のほうで…

5年 ago

司馬さん一日一語☞『徒士』(かち)

徒士(かち)というのは下士で、…

5年 ago

司馬さん一日一語☞『カタリベ』

カタリベとは 魚類でも植物でも…

5年 ago