司馬さん一日一語☞『喝』(かつ)

日本漢音ではカツ、
禅のほうでは、
カーツなどといい、
どなるときの気声である。


室町から江戸初期までの臨済禅は、
驚くほどナマの中国語
(浙江方言が多かった)を問答につかった。

このあたり、大正・昭和の洋画家がフランス語をつかったり、
哲学者がドイツ語をつかったりした傾向と似ている。

たとえば、日本語で十分置きかえられる“これ”“この”でさえ
這個(シャコ)、這頭(シャトウ)といったのである。

当時の俗語だった。
喝も同様である。
日本漢音ではカツ、禅のほうでは、カーツなどといい、どなるときの気声である。

喝という中国音は、啖を吐くときのように、口蓋で気声を摩擦して
発する。こらっというように、他人をりとばすときにつかわれる。

また禅堂では、ものの本質を明かすのに、それが言語では
表現しにくい機微の間にある場合、ときにこれが出る。

「仏法とは、大意どんなものですか」という質問は、
江戸初期ぐらいまでは「如何ナルカ是、仏法ノ大意」と、
中国語ふうにいった。
師僧は、すなわち、「喝」と、発する。
中国浙江省の田舎言葉の罵声を、日本の寺で、
思想用語としてなぜつかわねばならなかったのだろう。

 

☞︎出典:『街道をゆく』34
大徳寺散歩、中津・宇佐の道(朝日文庫)

 

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