京の公卿は、平安時代から、女は出雲、として、そばめとして京へ輸入した。
いわゆる京美人は出雲おんなが原種になっている。
出雲おんなは、美人というよりこびが佳い、と古書にもある。
歌舞伎の元祖といわれる出雲のお国が、出雲女性の舞踊団をひきいて、戦国中期の京にあらわれ、満都の男性を魅了したのも、出雲おんなの佳さが、すでに天下の男性の先入観念にあったからだ。
おどりのうまさだけではないようにおもわれる。
文禄年間、越前中納言秀康が伏見城にお国をよんで演じさせた。
お国の生年はわからないが、
室町将軍在世のときから活躍していたように思えるから、当時四十は越していたろう。
かつての彼女は、華美で傾(かぶ)いた衣装でおどるのが常であった。
しかしこの伏見城では、黒の僧衣をつけ、紅のひもこすじをエリからかけておどった。
色白の彼女を想像するとき、
この色彩は、男の粘膜にしみとおるように美しい。
彼女は秀康の前で鉦を叩きながら「やや子踊り」をおどった。
秀康はその容色と技芸におどろき、「お国は女ながらも天下一の名あり。われは天下一の男となるあたわず」
となげいた、といわれる。
☞出典:『司馬遼太郎が考えたこと』2 (新潮文庫)
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桃の実も桃の木も、 中国の古代信仰 —道教—のなかで、 魔よけの呪力のある ものとされている。 この桃の実の呪術性については日本の古代にも影響されていて、『古事記』『日本書紀』の神話にまでその痕跡 […]
物の怪とは、 たとえば鬼や狐狸や その他の怪物のような 実体のあるものでは なかったようだ 源氏物語を読まれてご存じのように、平安期の文学や説話には「物の怪」(もののけ)からの恐怖が、どれを読んでもこまごまとしるされてい […]
モメン(木綿) という この植物繊維の 王者とも いうべきものが、 日本に古来あった わけではない。 戦国期から、きちょうなものとしてほんの少数の武将たちに用いられはじめたのである。 説明的には、平安初期に三河の海岸に漂 […]
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