司馬さん一日一語☞『種子島』

日本の近世史は、
この長篠の戦場における
信長の銃火によって
幕をあけたという
べきだろう。

日本の鉄砲の歴史は、たれでも知っているとおり、天文十二年(1543)種子島に漂着したポルトガル船の船長が島の王様種子島時尭(ときたか)に一挺千両で二挺売りつけたところからはじまる。
それからわずか十二年後の天文二十四年の厳島合戦に、はやくもこの新兵器が戦場にあらわれ、六、七挺で敵をなやましたとある。

このとき敵が受けた恐怖は、第一次世界大戦中の一九一六年九月十五日、ソンムの戦野ではじめて戦車という奇怪な新兵器が出現してドイツ軍の心胆をさむからしめた事実と匹敵するだろう。
織田信長は早くから鉄砲に着目、自軍をこの新兵器で装備し、天正三年の長篠ノ合戦には、三千挺という当時としては驚異的な火力を戦場に進出させた。
敵は戦国期を通じて最強といわれた武田勢である。
しかし鉄砲以前の旧式装備で、決戦するや、信長方のすさまじい弾幕のなかで、新羅三郎義光以来の武勇の名家はこなごなにくだけ去ってしまった。
日本の近世史は、この長篠の戦場における信長の銃火によって幕をあけたというべきだろう。

☞出典:『司馬遼太郎が考えたこと』2 (新潮文庫)

 

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