司馬さん一日一語☞『灌頂』(かんじょう)

灌頂というのは
ことごとく密教を
体得した者に
授けられる儀式である。

お遍路はお大師さんとともに歩く。「同行二人」(どうぎょうににん)と墨書した笠をかぶっているのは、いうまでもなくお大師さんとともにという意味である。
口には、空海が灌頂をうけたときの名である遍照金剛をとなえてゆく。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。

空海は唐の長安の青竜寺で師の恵果から灌頂をうけた。
灌頂(かんじょう)というのはことごとく密教を体得した者に授けられる儀式である。
水を頂に灌ぐ。
(あたまにそそぐ)ユダヤ教にも灌水の作法が
あり、キリスト教にも洗礼というものがある。

このとき、同時に、灌頂名があたえられる。カトリックの洗礼名と考えていい。
恵果は空海に、「金剛」という名をあたえた。
ダイヤモンドという意味である。
この純粋の炭素で地上でもっとも硬い物質を古代インド人はその硬さゆえに(うつくしさゆえではなく)驚歎し、破壊されることがない(不壊)という形容としてつかっていた。
経典が中国訳されるとき、
当時の翻訳者はダイヤモンドを具体的に知らぬままに“金属のように硬い”という連想から、金剛という訳語をつけた。

中国と同様、ダイヤモンドを知らぬ日本国からきた空海が、ダイヤモンドという灌頂名をもらったのは、命名の情景としてほほえましい。
それに“あまねく照らす”遍照という形容詞がつく。
十方を照らす不壊(ふえ)の存在という意味で、金剛という形容を
好んで多用する密教の側からいえば、これ以上の命名はあるまい。

ともかくも、お遍路は右の不壊の名をとなえつつ、八十八か所、
約千四百キロという山野を踏み歩くのである。

健脚でも四十日かかるという。

☞出典:『街道をゆく』32
阿波紀行、紀ノ川流域(朝日文庫)

 

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