司馬さん一日一語☞『土師器』(はじき)

弥生式土器の後身は、
茶褐色の祖末な
焼きものである
土師器である。

日本の焼きものは、弥生式時代から古墳時代にかけて併用された土師器(はじき)と須恵器という二種類から、信じがたいほどのことだが、ながく進歩しなかった。
弥生式土器の後身は、茶褐色の祖末な焼きものである土師器である。
後身とはいえこんにち両者をよぶ呼称がちがうだけで、両者の間には窯業として決定的な差はない。
両者とも轆轤(ろくろ)を用いず、800度程度の低い温度で焼き、釉薬(うわぐすり)は用いない。
五世紀に須恵器が入ってきても、土師器はつかわれつづけた。
とくに須恵器は耐火性によわいため、物を煮炊きする釜や甑としては、土師器のほうが頻用された。
室町期に鋳物が普及し、鍋や釜から土師器が消えたかのようであり、食器は椀の普及によってようやく弥生式以来の原始的土器と袂別した。
須恵器は、登窯をつかう。弥生式土器は手工業だが、須恵器になってはじめて窯業という工業になったといえる。
登窯といっても、後世のように複雑な窯ではなく、いわゆる穴窯である。
丘陵の斜面を利用して掘りぬくか、それとも斜面にながい溝を掘って、それへふたのように天井をかぶせるかである。
どちらも最高所に煙出しを開口させ、下から焚きあげる。
火力は高く、摂氏1000度以上といわれ、しかも空気を十分に送ることなくゆるゆると焼き締めてゆく。
窯業ではこういう火を「還元焔」というそうだ。
須恵器は、主として祭祀用の器具として平安末期まで作られ、用いられていたらしい。
決定的に日本の焼きものを高級なものへ一変させるのは、十六世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、諸大名が朝鮮陶工を連れてかえってからである。

☞出典:『街道をゆく』18
越前の諸道(朝日文庫)

 

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