平安初期、 天皇家の財政が困窮し、 多く…
いったい 湖という日本語は 明治以前には…
巫女、 これはつねに 野(や)にあって …
“まほろば”が 古語であることは、 いう…
順慶は 日本語の語彙を 豊かにすることに…
この当時 (織豊時代)の 「ほどのよさ」…
むかし 満州(いまの東北)に 渤海国とい…
上代日本語では 卜占をウラという。 ウラ…
江戸期の庶民が、 判官びいきという こと…
方外とは浮世のそと という意味で、 極端…
弁財天(弁天)は、 もとは インドの土俗…
べにという日本語は、 古くはあっても も…
分際・分という ものさえ 心得ていれば、…
すべて “くるまれて楽しい” ということ…
国家からの 逃亡者であり、 それらを、 …
「触」という 言葉そのものは、 古代から…
風流というのは、 本来“教養があって 雅…
ぶどうは ペルシャ(イラン) が原産地と…
日本は、 普請の国である。 普請は、 土…
備長炭は 熊野に多い ウバメガシという …
標準語というのは いつごろできたので あ…
飛騨工(あるいは 斐陀匠/ひだのたくみ)…
日本の中世の 聖たちは、 こんにちの 日…
「いざ、蟇目負わせて くれん!」 鏑矢の…
盛りあげた荷が海に こぼれ落ちないように…
紀元前、 異民族の侵入をふせぐ ためにつ…
「藩邸」 というよび方は 幕末以後のこと…
藩ということばは、 徳川時代の正式な 法…
ハマナスは 北海道に多い。 また東北から…
ギリシア神話のなかの 牧神パンは たえず…
花のような、 という ことばがある。 人…
八幡、 はちまんといい、 やはたという。…
「畠」という 文字が おもしろい。 漢字…
芭蕉は、 木というより 大型の草という …
弥生式土器の後身は、 茶褐色の祖末な 焼…
明治は、 日本人のなかに 能力主義が復活…
芭蕉は、 この象潟にきて、 合歓(ねむ)…
こんにち “人類”というのが なお多分に…
『北海道漁業志稿』 (北水協会編纂) と…
維新前、 人の名前にナノリ というものが…
普通名詞の 灘の文字は 国字ではなく 漢…
恥ずかしいことを するなという精神が、 …
「どこの馬の骨」 ということばは、 日本…
日本の道路は 昭和三十年代の後半から に…
室町期の 同朋衆は、 日本文化に 大きな…
室町期を通じ 数万口(ふり) 十数万口の…
豆腐という名が 文献に出てくるのは、 宋…
陶芸は 人が創るのではなく、 火が作る。…
「寺」という文字は、 仏教渡来以前から …
江戸期、 航海のことばが、 暮らしのなか…
「です」という 軽い敬語も、 明治の 小…
明治後、 何十年にもわたって (北海道の…
久秀の献上した 「つくもがみ」 というの…
昔から鎮守の森 というのがありまして、 …
私は、 蝶という言葉が、 上代日本人にと…
将軍が 「朝夕人」とよぶ。 小便をしたい…
魑とは山の神で、 顔はトラである。 魅と…
丹後守屋敷の前 ということで、 この風俗…
日本の近世史は、 この長篠の戦場における…
谷こそ 古日本人にとって めでたき土地だ…
男を立てるから 男だてといい、 それから…
民族名であり、 地域名でもあったが、 し…
大納言というのは、 大宝律令でできた 官…
「大儀」 秀頼という青年は、 家来にこれ…
隊という言葉は、 元来日本語には なかっ…
あるいは 尊王賤覇とも いうのです。 朱…
七世紀の聖徳太子が 大好きなことばだった…
製紙法がいつどこから 伝わったものなのか…
正義という 人迷惑な一種の 社会規範は、…
私は海軍のことを 知らないが、 その精神…
杉が建材として 流行したのは、 せいぜい…
紀元前六世紀から 前三世紀ごろにかけて、…
「好・数寄・数奇」 という、室町文化を …
このことばづかいは、 明治三十年代から、…
文章の辞句を あれこれ考えることを “推…
助勤とは、 幕末の京における 新選組の組…
日本の新石器時代は、 学者たちが ヒトの…
葬式をするお坊さん というのは 非僧非俗…
浄土は地理的に 西方にある。 そこに光明…
春慶というのは、 人の名らしい。 一説で…
古代人は、 写実がつまらないと おもって…
「しづ」という 古代の織物は、 平安時代…
醜は、古語である。 にくにくしいまでに …
シキミは、 常緑の形のいい 葉をもつ 樹…
遊女に対する 女性一般をさす。 『ひとり…
人類は 「交易」というものを、 塩の売買…
士という字は、元来、 単におとこというだ…
匈奴の服装で 象徴的なのは、 サビエです…